こんばんは。ごきげんよう。大阪府高槻市沢良木町の樋口亜沙子ギター教室&樋口商店より樋口昌紀がお送りします。ご訪問いただき誠にありがとうございます。阪神は雨で負けたみたいですね。今日は(日付変わって昨日です)フェスティバルホールに行ってきました。もちろん、ボブ・ディランのコンサートを聴きに行ったのです。1人で行ったのですが、まずは電車で梅田までが大丈夫かなぁと思いましたが、パニックにはなりませんでした。やはり、ほぼ克服したようです。パニック障害のせいで全然遠出が出来ない人生でした。ピアノの専門学校の卒業旅行はドイツ。もちろん欠席しました。友達と海に行ったりも出来なかった。こんなオッサンになってから克服されてもなぁ。
都会だよ。おっかさん。
ここは昔からよく待ち合わせで使った場所ですね。。サラリーマンの山にビックリしました。こんな激務、ワシには勤まらん。みんなすごいなぁ。
1回、御堂筋線を反対に乗って中津に戻ってまた帰ってきました。ま、慣れてないし。昨年12月に心斎橋に行きましたが、梅田もすごいですね。ノイローゼになりそうです。
何枚も写真を撮っているので観光客と間違われていたりするのでしょうか。どうでもいいのですが。
スマホのナビを見ながら歩いたらフェスティバルホールに着きました。20年前にもボブのコンサートでフェスティバルホールには来ていますが、こんなに大きかったっけ。
いよいよ、ホールに入ります。ボブのコンサートは15年くらい前にzepp大阪で見て以来ですね。ボブはこの5月で82歳になります。正直、あんまり期待はしていませんでした。無理だと思うけど本当はボブのソロも聴きたい。実はソロは一回も聴いたことがない。ずっとhis bandです。
一人オジサンがたくさんいたので、「交代で撮りましょう。」という事で撮ってもらった。客層はやっぱり60~70代の男性が多かった。外国人も多かったし、単品女性も結構見た。
このコンサートはスマホ一切使用禁止です。なんか専用の袋に入れられてロックされます。なので、会場の中は撮影できませんでした。
ボブ・ディランのTシャツとかブルゾン来てる人も多かったけど、僕は恥ずかしいからさりげなく60年代を身にまとって行きました。
コンサートはどんな感じだったのか。
写真が撮れませんからね。席は一階の中央でした。ちなみにチケットは26,000円です。19時過ぎにメンバーが登場しました。ボブは「オオサカなんとか」って言ったような気がする。後はひたすら演奏が続きます。MCなし。まず、バンドの音が良かった。フェスティバルホールの中も最高の空間でした。座り心地もいいし。音の響きも良かったと思います。そんなに詳しくはないけど、大阪城ホールなんか何やってるか分かりません。zeppはスタンディングで辛い。ボブの声はめちゃくちゃパワフルでした。顔の細かいところまでは見えませんが、81のじいさんにしては声量もありました。相変わらず、変形しすぎて何の曲か分からないのはいっぱいありました。でも、前から嫌だと思っていたスティールギターとディストーションギターが消えて、上質な初期の50年代あたりのアメリカンサウンドがボブにぴったりでした。クリーンにリバーブだけ。わずかにクランチなサウンドでギタリストがリフを弾いていました。ボブはずっとピアノでした。座ったまま。でも手慣れたもんで、なかなかちゃんとピアノを弾いていました。ハーモニカは一曲だけ。演奏はしっかりリハーサルされているようで、ダラダラした演奏やギターソロもなくて「よく稽古しているな。」と思いました。このメンバーでだいぶ演ってるのかもしれませんね。今までで一番一体感があった演奏でした。無駄なアドリブがない分、一曲、一曲が割と短く終わっていきます。いつものようにメンバー紹介だけしてコンサートは終了。客席はみんなスタンディングオベイションでアンコールを要求しましたが、ボブが戻ってくることはありませんでした。81歳であれだけ歌って(歌うっていうか伴奏付きの詩の朗読に近い)アンコールは酷だと思いました。ノーベル文学賞か何か知りませんけど英語が分からない自分には全く関係のない事です。じゃあ、なぜ言葉も分からないのに高い金払ってコンサートに行くのか。もう60年もボブ・ディランやっているワケです。彼は。まだ白黒テレビの時代から60年間、第一線で活躍している稀有な存在です。あのライクアローリングストーンの声が生で聴けるってすごくないですか。もし、今、ジミ・ヘンドリックスが生きていたら80歳になった彼のギターを聴きたいとは思いませんか?ボブの一つ下です。そういえばフジコ・ヘミングの公演も書いてあったような。90歳です。ま~みんな好きやねぇ。
ボブ・ディランになるという事はボブ・ディランにならない事。
この禅問答のような言葉の意味するところは深い。一瞬で理解したというのなら、あなたはアイデンティティの諸問題では苦労しなかったタイプだといえます。もちろんこの言葉は逆でも使えます。
ボブ・ディランにならないという事はボブ・ディランになる事。
これは、スピリッツの話なんですね。日本の守破離に近い事柄なのかも知れません。ボブ・ディランもはじめからボブ・ディランであったわけではありません。これは本名でもありませんでした。少年ロバート・アレン・ジママンはエルビス、リトルリチャード、ウディ・ガスリーを敬愛していたに違いありません。当時はウディ・ガスリーの訛りまで真似をしていたようです。これは守ですね。つまり師匠のコピーとなるべく研鑽を積む時期です。ウディはアメリカ各地を放浪した本物のホーボーでした。そこでボブはミネソタからニューヨークまで彼に会いに行きます。ボブは「放浪してきた。母はいない。」など、カッコつけていたみたいですが、もちろん母はいて、ニューヨークには祖母がいたという説もあります。
ウディはすでにハンチントン病で入院していました。ボブは毎日、その病室でウディの曲を歌っていたといいます。ボブのファーストアルバムにはオリジナル曲が一曲だけで、あとはカバーだったと記憶しています。ウディに捧げる歌という曲です。
おそらく、彼はウディのイミテーターではこれからプロとして稼ぐことは出来ないと直感したと思います。ウディは自分の歌を歌っていました。だから、ボブがウディになるためには、ウディや他のアーティストの物まねをやめて、自分の作風で作品を作り、自分の声で歌う事が急務だと気が付いたんだと思います。つまりはスピリッツは受け継ぐがやり方は俺次第という破の状態に入るわけですね。
ここで先ほどの言葉を引用してみます。
ウディ・ガスリーになるという事はウディ・ガスリーにならない事。
つまりオリジナリティーの確立が必要である。という事が理解できたかと思います。ウディを卒業する時が来たという事です。そして、彼は自分の作品を量産していきます。ヒット曲も出て名前も売れ始めます。しかし、まだまだ一人のフォークシンガーです。大衆は第二のウディーを期待したかも知れません。フォーク界のプリンス登場と期待したのかもしれません。ピート・シーガーあたりは。
期待を裏切る。
これはとても大事な事ですね。「私はこうしたい。」と自分の意見を持つという事です。皆に同調しないというスタンスですね。自分にも相手にもウソをつかない誠実なスタンスです。ですから相手にNOという事も多々あります。ボブはフォーク界のプリンスである事を期待した人たちを裏切ります。というかボブは自分のしたいようにしただけです。派手な水玉のシャツを着てエレキギターを持って、バンドを従え全く新しい音楽を作り出したのです。今ではフォーク・ロックなどというのでしょうか。ボブはスピリッツは変わっていないが表現方法を変えただけだったと思います。離の状態ですね。有名な話ですが、ロイヤル・アルバート・ホールで「裏切り者!」と言われたボブはバンドメンバーに「ラウドにやろう。」と言って大音量で新しい音楽を演奏しました。古くからのファンは彼のもとを去った人もいたでしょう。でも同時に新しいファンが出来ました。自分に正直に在る。いい顔はしない。とても大事な事ですよね。
ボブ・ディランの磁力。
簡単にいえばカリスマ性ですね。彼はニューヨークに出て、ウソばっかりついて自分を謎多き人物に作り上げています。ま、放浪の吟遊詩人とか、そういうイメージですね。で、ファーストアルバムを発売しますが全く売れません。その後、敏腕マネージャー、アルバート・グロスマンと一緒にスターになっていきます。
一体、何が彼の魅力なのでしょうか。僕が初めてボブ・ディランを意識した時、ボブは52歳で僕は17歳でした。まず、思ったのは「他と圧倒的に違う」という事でしたね。例えばギターがめちゃくちゃ上手くてすごい速弾きをするとか。美しい歌声で観客を魅了するとか、そういった価値観とは一切無縁の人ですね。それが良かったんです。何度も書いていますが僕は所謂ロックバンドとかは嫌いでした。「つるまなきゃ何も出来ねぇんだろ。」と思っていました。だから、ギター1本でそういうバンドより何倍も多くの観客を魅了する姿に心打たれたのだと思います。当時、僕も孤独でした。自分に自信がなくて隠れるように生きていました。ボブ・ディランになれば、そういう連中に一撃食らわせてやる事が出来る。ような気がして、ロバート(ボブ)がウディを真似たように僕はボブの真似をしていきました。きっと世の中にはそういう人がたくさんいるんだと思います。自分のオーラ(北斗の拳ではこれを闘気と言っています。)が弱い人は磁場に引っ張られてしまいます。本人と同じタトゥーを入れたり、同じタイプのギターを買ったり。宗教やギャンブルにハマる人も根っこは一緒なんじゃないかな。自分に自信がないから何かにすがるんです。大きな存在、強い存在、例えば神など。
でも、僕は音楽や詩を作る事、歌う事は恥ずかしくて出来ませんでした。ギターは好きでした。むしろギターで自分を表現していたと思います。あれからちょうど30年が経ちました。結婚もして、天使のように可愛い娘が二人も生まれてくれました。
僕はボブ・ディランになった。
気が付くと僕はブロガー兼漫画描き、ギター教室の先生になっています。そうです。見事にボブ・ディランにならずにボブ・ディランになったのです。実はそれを確認したかったのです。ボブが僕の感情を揺り動かしてから30年経って、僕は彼を前に何を思うのか。
ライブに来てね~とか簡単に言わないよ。俺は。
なぜ、僕は大阪のフェスティバルホールにまで行ってボブのコンサートが観たかったのでしょうか。誰にも頼まれていません。交通費やらで28,000円くらい払って観てきました。それは感情が動いたからです。人は説得されて動くのではないんです。納得して動くんです。「説得されて」は受動的ですね。でも「納得して」は能動的です。ライブなんか頼まれて行くものじゃありません。
「俺、明日ポンポン山に登るから、見に来てよ。2,000円だけど。」
「誰が行くねん!」って思うでしょ。でもやってること同じですよ。会社員か何かの趣味の音楽活動なんですから。僕はね、逆やとずっと思ってるんですよ。「来てくれたら、2,000円あげます。」やろと。だから2,000円払いたくないから告知しないんです。僕は。ほんまに魅力があれば頼まんでも人は来るはずやん。それが答えやん。「なんで売れへんのやろ~なんで人が来ないんやろ~」っておもんないからやん。それしかないやん。逆にあったら教えて欲しい。おもろかったら飛行機に乗ってまで見に行くやん。WBCとか。だから、簡単に「来てね~」とか言える神経がまず理解できないし、その神経の持ち主がやる芸だからおもろいはずがない。断わる側に気を遣わすなよ。
ハイっといったワケでございまして、いかがだったでしょうか。こんな長文をここまで読んでいる人はいるのでしょうか。あ、このブログも同じね。おもろかったら読んでしまうねん。全部の物事がそうだよ。好きすぎるから告白してまうねん。おいしすぎるから食べに来てまうねん。めっちゃいいからライブに行ってまうねん。僕はこれをまう現象といって漫画のタイトルにもしました。Mua is all「まうこそすべて」という意味です。人は笑ってしまうし、泣いてしまう。それが本物。心が動いてしまう事を感動と呼びます。ね、だからね、表現者なのであればこのまう現象を起こさないとヒットはないよね。そこが一番難しいところでもあると思います。だから、ほんのわずかな人間しか芸術家で成功出来ないんだと思います。毎日まうまうまうまう。ホンマにここまで読んだん?あんたも好きね。では!また。バイバイ(^^)/
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