こんばんは。ごきげんよう。高槻市沢良木町の樋口亜沙子ギター教室&樋口商店の樋口昌紀です。ご訪問いただき誠にありがとうございます。今、ワタクシは父の日にもらったヴェルヴェット・アンダーグラウンドのCDを聴いてます。
あんまりにもいい音楽だから、貸してあげるんだけど返って来ない。借りパチというやつである。CDならまだしもモーリスのW-50は返して欲しい。17歳の少年は2人の娘の父になり、しぶとくこの街に漂っている。僕の17歳、なりたいものなどなかった。自分が大嫌いだった。グリニッジ・ヴィレッジもアンダーグラウンドもなく、始まったばかりの平凡な大学生活に幻滅していた孤独な18歳。
時にこう思う事がある。「ルーレットはまだ回っている。死ぬまで誰のところで止まるか分からない。」自分がこの歳になって漫画を発売するなど、想像出来るわけない。もちろん3回も精神病院に入院する事なんて。「あ、樋口か。終わったな。」と誰もが思ったと思います。自分でも「あ~~えらいとこまで流れて来たなぁ~」と思いました。しかし、美術学校の知識や経験は無駄にならず楽器屋時代のいろんなシーンも無駄にはならなかった。「今、思えば。」ついに俺の番が来たのかもしれない。
そこら辺にいる絵の上手いヤツっていうのは、ディティールばかり見ているのがほとんどだ。「細かいな~鉛筆でようこんなにリアルに描けるなぁ。」といった感じである。昔から思っている事だが「それなら写真でいいじゃないか。」と思ってしまう。対象物ばかり見ているのである。そういう人の絵はこの世に存在しない人や物になっているケースが多い。人を描くなら骨まで描かなければならない。物であればどこに、どんな材質でどんな風に置かれて存在しているのかを描き終わるまで注視しなくてはならない。外側のディティールなんてどうでもいい。いい絵は見た人が勝手にその存在を許している絵である。
僕もいわゆる「絵の上手い少年」だった。美術学校に行くまでは。初日のデッサンで全てを悟った。モチーフは毛糸の玉だった。「自分は随分と遅れをとっている!急がねば。」週末は朝から晩までデッサンをしていた。人のデッサンは漫画や似顔絵ではない。人は左右対称ではないし、肌色でもない。本編は描き終えた。漫画の完成は近い。
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