卒業式

樋口マサノリ ギター教室
ほな、行きまっせ。

こんにちは。ごきげんよう。大阪府高槻市沢良木町の樋口亜沙子ギター教室&樋口商店の樋口マサノリがお送りします。ご訪問頂きありがとうございます。3月、それは別れの季節でもあります。先日、寒風吹きすさぶ中、長女の通う小学校の卒業式に行ってきました。感動したか?泣いたか?全然ですね、だって人生はまだまだこれからどころか、メチャクチャ長いのですから。これから、いろんな事に遭遇するでしょう。こんな所で泣いている場合ではありません。

ちゃんと国歌を起立、斉唱してましたね。公務員への命令が出てるんですね。子供たちもちゃんと歌ってました。式が進むにつれて我が記憶も蘇る。封印したはずの小学校卒業あたりの記憶。

俺だけ話が合わない。

「中学に行ったらOOしようぜ!!」

「卒業記念でどっか行く?」

「クラブ何入る?」

「幼稚園一緒やったヤツと再会や。」

何一つ、話に入れませんでした。俺は六中には行きませんし、保育園しか行ってません。この辺りから、自分が完全に違う道に進路変更したのだなと実感しました。

ギイィィ~~~ガッチャン!!
そう、俺の線路は進路を変えた。始まりは小さい、しかし距離が長くなるほどそのお互いの距離は広がって行く。そして皆の記憶からも消え去る。「樋口ってどこ行ったん?」という会話も無くなる。その時から俺の逃亡生活が始まった。とても鮮明に思い出していた。辛かった、何とも言えぬ気持ちでした。今までのように話せない。「どうせ、お前、ちゃうとこ行くやん。」で話は終わる。そんなの分かっているから、その場にいない事が一番傷つかずに済む。だから、隠れて生きるクセがついてしまった。つまり、12歳から42歳くらいまで、胸を張って生きた事がない。なかった。精神状態も常に不安定で精神科への入院が3回。20年以上パニック障害にも悩まされた。おおげさかもしれませんが、本当にあの時、あの瞬間、線路の進行方向が変更されたのである。これを誰のせいにしよう?母しかいない。母のせいにする事で「いや、別に勝手に行かされただけやし。お~ん。」とその場をしのぎ、自分に言い聞かせ続けていた。俺じゃない!!でも、それでは何も解決しない事も分かっていた。もう40も超えた。それでも苦しかった。

希望が見えた瞬間

理由はよく分からないのですが5年くらい前から風向きが変わった。どうしても、何をしてもほどけなかった、こんがらがったブルーが自然とおのずから解けて行った。時を同じくして親父が衰えた。因果関係は分からないが、親父と反比例するが如く、俺は体中に力がみなぎるのを感じた。ギアとギアが30年ぶりに嚙み合ったような、力がちゃんと伝達される感覚。ウォ~~~~!!!!「地球のみんな!!」っていう感じですね。もう、何も気にならなくなりました。エンジンかかるのどんだけ遅いねん!!3回も諦めたっちゅうねん。やっぱり野球は2アウトから、勝負は下駄履くまで分からん、ルーレットはまだ回っている。誰がこの段階での樋口の浮上を想像出来たであろうか。死亡説、廃人説、蒸発説、いろいろありましたが、まだ生きていた!!しかも浮上し始めている。うん、追っかける方が楽だね。さあ!!追い抜いて行きますよ。あっという間に俺が見えなくなるよ。ニャハ!!

やっぱり、こんなに後半に浮上してくるタイプやったんやね。皆さん、どうぞよろしくお願いします。ハイっ!!というワケで、樋口マサノリが謎の自燃を始めていますよ。これからの動向が気になるよね。我ながら何をしでかすか分からん。今回も最後まで読んで頂きありがとうございます。それでは!!バイバイ~(^^)/

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