パニック障害とうつのWパンチ。

街の木 雑記
とてもキレイでした。何の木かは知らんけど。

こんばんは。ごきげんよう。高槻市沢良木町の樋口亜沙子ギター教室&樋口商店の樋口昌紀です。本日もアクセスしてくれてありがとうございます。きっとみんな大変で、もがきながら生きているのだと思います。自分だけがしんどいと思わない事ですね。実際、僕にしてみればかわいい子供たちがいて、口うるさいけどしっかりしたカミサンがいて、漫画を描いて、ギターを弾いて、飢えずに生きているのだから、100点の人生になったと思っています。感謝しなければ。

月に一回、通院しています。ここの先生が「今からすぐに入院ですよ。」と言ってくれた。その時のワタシは、ま、終わってました。死んだことがないから分からないけど、死ぬより辛かったのかも知れません。まずは3ヶ月入院する事になりました。カーテンのない部屋にベットが置かれていました。保護室というのですが、そのドアの軋む音まで覚えています。毎日、抗うつ剤の点滴をしました。「ラクになりましたか?」と聞いてくれるのだが、まるで良くならない。病気のせいでヘビースモーカーになっていたワタシは、タバコが吸いたくてしょうがない。でも、患者にはランクがあって外に出られるのは病状が良い人だけです。ワタシなんか、トイレもお風呂も監視されているのです。一週間ほどで、ロビーに出られるようになります。(外出は出来ません)テレビや漫画がありますが、意欲はまるでなく時間が永遠に感じるほど何もしないままのワタシ。ご飯は3日で飽きます。それでも腹はすくので一応食べます。どれだけ食べたか毎回チェックされます。どんどん部屋が変って行きます。印象深い部屋がありました。ものすごい残留思念を感じる部屋でした。壁一面に、鉛筆で落書きがしてあるのですがフツーに怖いです。(;゚Д゚)その部屋だけは嫌でした。後は4人部屋になります。この頃から、退院に向けての講座を受けます。そして、やっとシャバに戻れるというワケです。この記事をUPするか迷ったのですが、こういう病気で苦しんでいる人って本当に多いんです。クリニックはいつも満員です。ご自身であったり、ご家族であったり、ご友人であったり。ちなみにワタシはシャバに出てから5ヶ月くらいで再入院しました。うちのカミサンがよく言っていたのが「力を抜いて、漂っていれば良い。流れに身を任せるのじゃ。」であった。その通りなんです。

2回目の退院をしてから、2年ほど経つのかも知れません。症状は良くなっていると思います。こんな木や花を見て「キレイやな~」とか思うのですから。

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