1968年の話をする。マニアックだぞ。

田村P-80 ギターリペア
このペグの謎は解けた。

こんばんは。ごきげんよう。大阪府高槻市沢良木町の樋口亜沙子ギター教室&樋口商店より樋口昌紀がお送りします。あけましておめでとうございます。今年も一月一日からアクセスいただき感謝の極みでございます。元旦は特に外出もしていません。ゆっくりと本を読んでいました。昨年末によしや楽器さんで買った本をゆっくり読み始めております。

まずはケーキを食べよう。

なぜか元旦にケーキが出てきました。美味しかった。当然太った。多分、明日も食う。

何度も言ってるんですけどウチのオカンは家事が苦手だったと思います。何でも買って来てました。中学から弁当になったんですけど「あ~あんまり食べたくないな~」っていう弁当でした。分かります?色がないんです。全部ステテコみたいな色で、、煮物?とか。僕、ご飯に汁が浸透してるのがすごく嫌で全然食べませんでした。みんなはもっと緑とか赤、黄色、から揚げみたいな弁当なワケですよ。だから、隠すように食べてました。正確には食べていません。食べたふりして運動場に行ってました。なので、食堂で食べる事にしました。一日¥500もらってました。お互いその方がいいだろう。土曜日のお昼は家の前のローソンでマルちゃん長崎ちゃんぽんと田舎おにぎりを買ってましたね。

では、本題に入るぜ。1968年はどんな年だった?

昭和43年ちょっと調べたんですが、マーチン・ルーサー・キング・Jrとケネディ大統領が暗殺されています。まだジミヘンもジャニスも生きています。日本では3億円事件、東大紛争、川端康成ノーベル文学賞など慌ただしい年ですね。流行語はとめてくれるなおっかさん、サイケ、ズッコケるなど。CHARAさん(歌手)や葉加瀬太郎さんが生まれています。54歳なんですね。そうなんです。54年前の現代ギター別冊を手に入れたんです。ググったけど出てこなかったので、かなりレアな本だと思います。25円で買ったのですが、僕には¥10,000以上の価値があります。

1968年の大卒初任給は¥27,906円(公務員)という日本です。フェンダーのストラトキャスターはラージヘッド、F-Keyペグだ。よしや楽器のご主人が¥50という値札をつけていて、この間行ったときに「それの半額でいいよ。」って言われました。

それでは貴重な記事を見て行こう。

高知県の製作家でクラシックギターファンなら誰もが知っているマエストロ兄弟。写真はフラメンコを得意とした兄、田村広のフラメンコギターC30だ。当時¥30,000である。

値札に目をこらすと、中出修、河野賢、野辺正二、野辺邦治、下段は田村広のフラメンコ、手前は木曽スズキ、ゼンオンなどの安いモデルとなっています。田村広は廣という表記になっているのもあって前々からどちらか確信がなかったのですが、これで広という事が判明しました。(でも上記フラメンコは廣となっていますね。ますます分らん。)

素晴らしい写真です。今でも手の届かない世界の名器。この頃はフレタが¥420,000で、ラミレスは¥330,000で、アグアドは¥320,000です。今なら激安ですが、1968年は月給が30,000足らず。現代ギターは¥250ですからね。ちなみに牛乳23円、かけそば70円、銭湯35円です。

河野ギターは現在でも不動の人気を誇ります。丈夫で狂いがなく、よく鳴るギターで申し分ありません。河野賢さんが作っておられた時代ですね。広告のギターを見るとすでに出来上がっているのが見て取れます。前年の1967年にベルギー国際ギターコンクールで金メダルを受賞しています。

僕ははじめ、この本がいつ発売されたのか分からなかったんです。どこにも書いてないし。でも、さっきの河野のラベルが1968年に見える事、そしてこの写真の右のギター分かりますか?ヤマハですよ、これヤマハのFG-150ライトグリーンラベルですよ。この後すぐに赤ラベルになります。ヤマハのFGは1966年に誕生していますから、この写真はそれ以降という事になります。で先ほどの河野のラベル。以上の理由から、おそらくこの本は1968年に発行されたものだと推測しました。
 そして、この若者たちを見て下さい。みんな小林旭みたいに片足上げてその場で弾いちゃってます。今、これやったら即行出禁扱い。「ちょ、ちょ、ちょっとお客様~~!」って感じです。でまた混んでるなあ。いい時代だよね。「これから日本はどんどんよくなるんだ、どんどん給料は上がって行くんだ。」そんな空気をこの写真から感じます。ここに写っている人は現在70代になっているはずです。
(後に判明しましたが、この本は昭和43年12月25日発行でした。やっぱり1968年でした。)

たけなわですからね。こりゃ儲かったやろうな~。当時は禁じられた遊びが弾けたらプロになれたそうです。なんか分かる気がする。

いや~田村広さん。イメージと違いましたね~細身なんですね。肩幅も狭いですね。小柄なのかな。河野賢さんもバリバリの現役ですね。これで中出阪蔵さんが先駆者だという事が分かりますよね。

これでワタシの所有する田村広P-80 1974年製のペグがどこのものか判明したんです。まさにこのペグが着いています。ドイツ製でカールヘフナー高級糸巻き¥3,900の物だったんですね。

ラミレスは松岡良治に、アグアドは中出敏彦へ、フレタは茶位幸信、河野賢へインスピレーションを与えているのがよく分かります。

ネックヒールはかなり見ますね。僕は。そこで木工精度が分かるんです。田村なんかキレイですよ。

この本は、もう重要文化財ですよ。読み出したら止まらへん。

高級ギターキット18,000円って、多分かなりいいギター作れると思います。作るための道具そろえるのに50,000円くらいかかりそうやけど。

謎のアイテムたち。

まず強音器です。ギターに触れないようにアクリル板を吸盤で着けるようです。2枚で500円木曽スズキから発売されています。次は阿部式調弦器「シュミット式バックブリーカーみたいに言うな!」ってツッコみました。これは写真だけではどんな商品か分かりません。目で見て調弦するそうです。で、ダイヤモンド響棒。これはギター内部のブレースをダイヤモンドみたいにカットしたものです。以下説明。
 このギターは、ギター教育家として名高い新堀寛己先生が長年の経験と実績を生かして監製したわが国で最もすぐれたギターです。しかも、このギターには世界的に話題を呼んでいるダイヤモンド響棒が使われていますので、音量が豊富でバランスのとれた澄明な音色にすべての人びとが感動し、いまわが国で最も多く使われている楽器です。
 らしいです。スゴいな、全部ウソやん。ミドリ楽器時代にこの響棒のギターめっちゃ見ましたよ。どれもラワン丸出し合板の安っすいギターでした。鳴るか!

実は今、庄司ギターを一本リペアに出しています。庄司監修のギターや日進工業のギターは全部安物ですが、本人、庄司正雄氏が作った物には魅力ある楽器が存在します。しかも、広告には小さい字で【お弟子さん募集】とあります。その上の中出六太郎の広告も貴重。そして、信濃高級ガットギターのカタログ。確かにNo73、No83あたりはトップ単板のいいギターです。それから、このカタログで一番貴重な情報は田村ギターの品番が載っている事です。
◆水星  ¥30000   マーキュリー
◆木製  ¥35000   ジュピター
◆金星  ¥40000   ビーナス
◆流星  ¥50000   シリウス
◆彗星  ¥60000   コメット
◆北極星 ¥80000   ポラリス
◆十字星 ¥100000   クラックス
◆スピカ ¥120000   スピカ
◆ミラー ¥150000   ミラー
確かに1968~1970年くらいの田村広には木星とかスタンプがあります。高知の彗星天文家の関勉氏と親交があったそうです。なんと関勉氏はご存命で、92歳です!ホームページもありました。
 しかしながら、ここまで完全な品番表を見た事がありません。そして、わたくしの30年以上のギター歴、25年の業界歴の中で流星以上の田村ギターを見た事がありません。ちなみにスピカとはおとめ座α星なのは分かったのですがミラーが解りません。ここまで宇宙や惑星、星座関係で来ているのに最後はミラー。このモデルはこの世に存在しているのだろうか。田村兄弟は2人ともお亡くなりになっています。

それでは、1974年製 田村広P-80を見て行こう。

1974年の大卒初任給は72,800円(公務員)P-80は80,000円なので、一ヶ月の給料で買えたワケだ。そこそこ高いギターという事になりますね。Pシリーズは杉が多いのだがこれは松ですね。このギターは修理の依頼で樋口商店にやって来た。底が割れていたのである。修理の見積もりを出すと「ん~~それなら手放した方がいいかな。いくらなら買ってくれますか?」と言われたので「10,000円までです。」とお答えしました。売るにもリペアしないといけないので、そこも計算に入れました。「じゃ、それでいいです。」という事で10,000円で買いました。それでリペアもしていただいたのですが、ちょっと塗装のクラックがすごくて売るのはキツいなとなって引き取りました。田村広、田村満の黄金期はやっぱり1968~1972年くらいだと思っています。この1974年製の田村は手工品というオーラに欠けます。おそらくかなり従業員さんもおられたと思うので、田村広さんがどこまで製作に携わっていたのかが気になります。サインはありますけどね。

最後に珍しい写真を紹介します。

春日楽器の工場です。クラシックギターの生産量は国内で月産13~15万本で世界第1位だったようです。輸出もしていたようですね。ラベルを最後に貼るっていうのは知りませんでした。しかも弦も張ってから作業してますね。
 ハイっといったワケで、このブログを書き始めたのが1月1日の21時30分でした。4時間以上書いています。でもこれで1968年辺りの日本のギター事情がお分かりいただけた事でしょう。そして、この情報が未来永劫誰かの役に立っていけば、書いた甲斐もあります。最後まで読んでくれてありがとうございます。かなりマニアックな内容でしたがクラシックギターファンには喜んでいただけたかと思います。では、この辺で。バイバイ(^^)/

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コメント

  1. kaya より:

    その時代の現代ギターが実家に山ほど眠ってます。峯澤泰三さんのインタビューとか載っててかなり面白かったです。
    満さんの写真も見たことありますが、いかにも土佐のおっちゃんって感じのお顔でした。

    • mahcaster より:

      kayaさん>このブログ見たらきっとコメントくれると思ってましたよ。峯澤泰三さんのインタビューはアツいね。満さんの写真も見たい。他にも貴重な本があるので、徐々にアップします。今年もSNSはフル活用しますので、よかったらチェックして下さい。

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