こんにちは。ごきげんよう。大阪府高槻市沢良木町の樋口亜沙子ギター&樋口商店より樋口昌紀がお送りします。ご訪問いただき誠にありがとうございます。今日は珍しくお昼にブログを書いております。もしね、このブログをちょくちょく読んでいる方なんかは、是非ね、スマホにショートカットを作っていただいて、一日一回と言わず。ガンガンアクセスして下さい。動画はYouTubeチャンネル登録をお願いします。何か新しいのがアップされているかもしれません。それでは京都よしや楽器への道最終回です。
いよいよ店内へ!
お腹もいっぱいになりました。いざ、よしや楽器へ。
道路を挟んで、ここまでオーラを感じる。店主がいなくなってもオーラを放つとは、やはりタダ者ではない。遠くで見ると小さいのに店に入るとワンダーランド。これはミドリ楽器時代に大いに参考にさせていただきました。僕はよしや楽器+ドン・キホーテの陳列を目指していました。溢れる商品、面白いポップ。ジャングル陳列で圧倒するのです。ミドリ楽器は国道170号線沿いにありました。(今もありますが僕はいません。)乗用車はもちろん、市バス、京阪バスが停車します。必ず外を見るはずです。その一瞬でお客様の目に焼き付くショーウィンドウを目指していました。大事なのは変である事。見てもらわないと次のステップには行けません。ですから、ショーウィンドウには普通のギターショップには置いていないギターを並べます。グヤ、テスコ、コロンビア、ファーストマン、グレコ、昔のスクワイヤー、チャキ、木曽スズキなど。「何あれ?」と思ってもらわないといけないのです。
全盛期は200本の在庫があったそうです。ミドリ楽器も200本ありました。おそらく1970年代初期創業のようです。奥様に伺いました。ミドリ楽器は1976年ですから、ほぼ同時期に誕生したんですね。それもあって、とても懐かしい気分になりますね。ここで、どれだけの人がワクワクしたんだろうか。どれだけの人が夢を見たのだろうか。そのすべてを目撃してきたよしや楽器とご主人。5年くらい前に亡くなったと聞きました。僕はその直前にマーチンD-28を買ったんです。ご主人は椅子に座ってロトマチックペグを磨いていました。立てかけてあるマーチンには値札がありませんでした。「これはいくらですか?」と聞くと「21万円」と教えて下さいました。即決しました。その場で21枚数えて、僕は店を後にしました。20代の頃から数えると4,5回しか来てません。京都の地図が頭に入っていない。かといって京都の地下鉄も全然分かりません。
ギターは買わなかったけど、国宝級の書籍を入手しました。
クライベイビーが展示してあったので「これはいくらですか。」と尋ねるとスタッフのNさんが「¥8,000円だよ。」と教えてくれました。んん~~ちょっと合わないな。そういえば今日(11日)は本とレーザーディスクが半額というのをインスタで確認していました。というわけで本のコーナーに行きました。キレイな本は一冊もありませんでした。しかし、無茶苦茶レアな本ばかり残っています。僕にとっては国宝級の本です。値札を見るとなんと10円~2,500円くらいの値段がおそらくご主人の手書きで貼ってありました。「おおおおおお~~」僕は冷静を装いながら次から次へとチェックして行きます。マイケルジャクソンのように「this this this this~~ this」といった感じで爆買いしていました。
何がすごいって1960年代~1980年代までの音楽事情、楽器の情報が当時の熱量で読めるのです。「1960年代は~ジョーン・バエズが…」と言った風に振り返っている本じゃないんです。当時の本なんです。今ではいけない言葉や表現がふんだんに使われています。味のあるコピー、めちゃくちゃ小さい字、住所も電話番号も記載してあるメンバー募集。なんたってフェンダージャパンがない時代だよ。すごいよ。しかもご主人の趣味で仕入れているから、フラメンコやクラシックギターの本が多いんですよ。これも嬉しい。今となってはレアで高級な本もたくさんあります。全部読むのに1年はかかりそうである。
やっぱり来ないとダメだよね。僕の職業にとってこの本を入手出来た事は一生の財産になるんです。
動画検索でよしや楽器は出てこなかった。
映画パッチギ!で検索すると少しだけ見つかりました。舞台は1968年京都。グループサウンズ全盛期です。
1968年当時のギターやベース、アンプを揃えなくてはならなかったと思うので、その意味でもよしや楽器さんはピッタリだったんでしょうね。1968年ならFG-180が赤ラベルとなったその年ですね。ビザールギターもたくさん発売されました。まだ、米国のギターがなくて写真を見て製造していたそうです。初期のグレコなんか形がおかしいもんね。レスポールがデチャッタブルでホロー構造なんて、もはや別のギターやしね。ピックアップもハムに見せかけてシングルとか。
よしや楽器が後世に残るためにもこの動画をアップします。
1977年の雑誌ロッキンfがよしや楽器を取材している。
ご主人は田中さん(30歳)フラメンコギターの名手であり無類の楽器好き。家業が質屋さんで集まった楽器で商売をはじめたそうである。(ここまでは予想通り)どうも商売しているのか、コレクションしているのか分からないという。ウチの親父とは真逆ですな。ビックリするのは奥さんも、ご主人に輪をかけたギター好きだそうである。ぼうやの名前も保世(ホセ)とつけるほどのマニアだ。これには恐れ入った。確かにホセ・ラミレスやホセ・オリベ、ホセ・アントニオなどスペインの名器は多い。ギターの道に進まなくても保世っていい名前だなと思いました。ウチの子も音楽やギターの名称を入れようかと思いましたが、それで本人が気を使ってあれこれ考えたらそれって悲劇だなと思い、全く関係のない名前にしてあります。ちなみにこの保世くんはプロのフラメンコギタリストになったのだからたいしたものである。
ありがとうございました!
この写真を撮ってくれたのは、ご主人の娘さんでギターとは全く関係のない事をされているそうです。快く迎えてくれてありがとうございました。僕はよしや楽器を忘れる事はないでしょう。同じ時代を生きた楽器店。親父も事実上引退の身。左に写っているのはビザールギターのプリザント。これが全てを物語っているのかもしれない。
ハイっといったところで全4話にわたり、よしや楽器さんのお話をさせていただきました。来年2月?3月?までは営業されるようです。電話をしてから行く事をおすすめします。道路向かいの洋食屋どんグリル、推しです。それでは、またのお越しをお待ちしております。ウチは12月29日の午前中で冬季休暇に入ります。どうぞよろしくお願いいたします。ブログは書くかどうか決めていません。では!(^^)/
楽しいホームページ
人気ブログランキング参戦中
迷わず押せよ。押せばわかるさ!
皆さんの勇気のおかげで195人中8位です。
コメント欄は一番下にあります。
↓↓↓↓↓↓
コメント